JA京都

2005.12 Vol.45

09 田舎は可能性の塊。

 

高校卒業までを網野町で暮らした井上さんは、綾部市の京都府立農業大学校を卒業後、「一度は街で暮らしたい」との思いで京都市内の農薬卸会社に営業マンとして就職した。そんな井上さんが、いよいよUターンしてユリの生産者になったのには、何がきっかけになったのだろう。

 

 一番気になるところを伺ってみた。「営業マン時代に京都市近郊の農家をたくさん見てきましたが、どこも経済的に安定しているんですよね。自分の描いていた農家のイメージとえらく違ったので衝撃でした。客層を絞りながら上手に野菜を作って、残らず売るんですよ。田舎に帰ったらそこよりかは土地もあるし、自分でもできるんじゃないかと思ったんです」。今年で就農10年目を迎え、「毎日が必死です」と嘆きながらも順調に規模を拡大させ、現在はハウスや機材等の設備投資も進行中だ。

▲浜詰を臨む高台にある8棟のハウス。昼夜の寒暖の差が大きい気候はユリ栽培に適しており、ここで収穫されるユリは色乗りも良いといわれ市場でも高評価だ。

 昔は気が進まなかった田舎暮らしだが、一人暮らしを経て、考え方が変わってきた。「何をするにも街の方が便利だと思っていましたが、今は田舎での仕事の方が充実しています。閉塞感もなく、なんかここにはすごいパワーが眠っているような…、朝起きても『あれもこれもやってやろう!』っていう気持ちにしてくれるんですよ」。

 

▲ユリの球根やイモなどの根菜類、農具などの洗浄は自宅前の小川で。

  消防団や地区行事、ユリ部会の会合や先進地視察にも進んで参加している井上さん。最後には「田舎は可能性の塊だと思います」と、田舎暮らしならではの言葉が返ってきた。

 

▲家族は井上さんの両親と、妻と子ども2人の計6人。写真は、左から母・美津枝さん、本人、妻・香代子さん。

 

 


●京丹後市網野町俵野
井上 裕成さん[37才]
毎日が忙しい井上さんにとって、情報交換や息抜きの場となっているのが月に数回開かれるユリ生産者の集まりだ。「この日だけは仕事のことは忘れ、世間話などに花を咲かせるつもりが、何故か『ユリ』の話題になってしまう」と笑う。


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